(元)吹奏楽部顧問の徒然草(仮)

音楽や教育、ゲームなどをつれづれと

贈り物と退職の話

久しぶりの投稿です。

リアルで私のことを知っている人はご存知かと思いますが、3月をもちまして教員を退職します。

次の仕事はSEの予定ですが、変わらずに教育をはじめとして色々なことについて書きつくりたいなと思いますのでよろしくお願いします。

 

 

さて、明日は離任式なのですが、送別会もあります。

お世話になった先生方に感謝の気持ちを伝えるべく贈り物を用意したのですが、贈り物を選ぶのって何だかんだ楽しいですよね。

最初は学年の先生はハンカチ、他の人はお菓子と思っていたのですが、

いい感じのハンカチがなくて、紅茶にしたり、よくコーヒーを飲んでた先生にはちょっといいコーヒーを買ったり…

 

 

その人の好きなものを考えると、その人にしてもらったことも思い出します。全てがいい思い出というわけではありませんでしたが、2年間仕事ができたのも諸先生方のおかげだと思います。

育ててもらった恩返しを同じステージで出来ないのは申し訳ないのですが、次の仕事でも生かしていきたいと思ってます。

 

 

とりあえず教員としてのほっさんは一区切りです。

次回作にご期待ください!!

 

 

離任式何話そう……

年度終わりの授業をした話

今日から年度最後の授業が始まりました。
学年主任が、よく口にする「10年後の君たちに」を題に講義的に話をしました。
(ちょっとリンホラの「2ヶ月後の君へ」を意識しました)


自分が中学生の頃って夢はあってもとりあえず高校に行くことしか考えてなくて、その先具体的にどうしようと考えることは無かったなぁと思います。なんとなく大学に行って就職するのかなぁと。


でも現代を取り巻く環境はそんな猶予を私たちには与えていません。10年後の2029年にはAIが人間の能力を超え、20年後には今ある仕事の47%が自動化されると言われています。彼らがボーッと生きてても将来働けるか分からないわけです。


でも学校でそんな話はしないですよね。


ということで、10年後に起こりうる未来やその時代に必要とされるであろう力について話をしました。


10年後の社会で必要とされるであろう力として「創造力」と「コミュニケーション力」(どちらも機械には弱い分野)を挙げて、これらを身につけると良い。
ただ、それらの力は学校生活で身につけられる場面がある。ボーッとせずに自分から活動してほしいという内容です。(かなり掻い摘んでます)


話は難しくてあまり生徒には響いてないかもしれませんが、「20年後には今ある仕事の47%が自動化される」という点には驚いていました。


1年間を振り返るとあまり力がつく授業が出来たとは言えないかもしれませんが、彼らが10年後に幸せな人生を歩めるよう、何か意識付けが出来たらなと思いました。

国語の授業で人狼(ワードウルフ)をした話

後期の期末テストも終わり、授業時数にも少し余裕が出てきたので国語の授業の時間に人狼の派生ゲームであるワードウルフを行いました。

  • ワードウルフとは
  • なぜ国語の授業で?
  • 活動の実態

ワードウルフとは

ワードウルフとは人狼のような正体隠匿系のゲームです。
プレイヤーにあるお題が配られ、それについてプレイヤーが話をするのですが、1人だけ違うお題が渡されています。その人がワードウルフです。
ワードウルフになった人は自分がワードウルフであることを他のプレイヤーに悟られないようにしながら会話をしなければなりません。


しかし、これがこのゲームの面白いところなのですが、配られるカードにはお題が書いてあるだけなので、なんと
ワードウルフも自身がワードウルフであることはわからないのです。
話を進めて行く中で自分が多数派なのか少数派なのかを見極めなければなりません。

なぜ国語の授業で?

ではなぜ国語の授業でワードウルフを行うかというと、理由は二つあります。
一つはこれが自分の言葉を使って自分の伝えたいことを伝えたり、相手の伝えたいことを理解したりするゲームだからです。
自分がワードウルフであるかもしれないと思いながら話し合うことで相手の発言に注意したり、意図を理解しようとしたりします。そして、自分がワードウルフではないことを伝えるために様々な言葉を用いてお題に関することを話さなければなりません。(沈黙すると疑われてしまう)まさに国語科の目標でもある「伝え合う力」を鍛えるトレーニングになります。


二つ目は物事を多面的に見るトレーニングになるからです。お題について3分ほど話すとなると、一面的な内容では話が続きません。違った視点からお題に関する話題を広げる必要があります。また、その過程で他の友人の意見を「なるほど」と聞くこともできます。

活動の実態

実際にルールを説明し、中学生にやらせてみたところ、最初のゲームはいくつか失敗が見られました。
いきなりお題の名前を呟いてしまう生徒や、「はさみ」のお題をもらったワードウルフが「切るものだよね」とハサミのジェスチャーをして一発でバレてしまう生徒がおり、ゲームの体をなしていなかったですが、失敗から学んだようで、繰り返し行うことでこのゲームの醍醐味に気づく事ができたようです。普段の授業には全くやる気を示さなかった生徒もこの時ばかりは楽しく活動していました。
また、楽しんでいるだけではなくやりとりでもお互い注意深く話を聞いている様子が見られ、自分がワードウルフだとわかった瞬間に嘘をついてバレないようにする生徒もいました。


国語の授業というと文章読解が中心になってしまいがちですが、こういった言葉を使ってコミュニケーションをするゲームも面白いし、ためになるよなぁと思いました。もう少し年間を通して満遍なくこのような試みを行えたら良かったなと反省します。

教員の私が車を持たない3つの理由

私は車を持っていないので、よく「車買わないの?」という事を同僚から言われます。

確かに教員ってみんな車に乗ってきてますよね。私の学校では電車を使う人は3.4人しかいません。

幸いなことに駅から近い職場で交通の便が良いので私としては必要性を感じていないのですが、執拗に車の購入を勧めて来る人がいます。

車を持たなきゃ一人前の教員じゃない」とも言われました。必要性の無いものを勧められてもストレスでしかないです。

今回は私が車を買わない理由について書こうかなと思いますを

 

1.お金

車ってお金かかるじゃないですか。

本体+駐車場代+保険代+燃料代+税金+車検代などなど……

維持費を含めて莫大な費用がかかります。

一方公共交通機関を使えば通勤費を自費で払うことはありません。

100万あったら車より楽器が欲しいタイプの人間なので、そういう面でも車を買う気になれないです。

 

 

2.リスク

車を運転することはリスクを伴います。

私自身運転は嫌いじゃないですが、いかんせん早朝と疲れている夜に運転をしたくありません。通常より判断や反応が低下してる状態ですので事故とか起こしてしまいそうです。

 

 

3.時間

車を運転しているときは運転することしか出来ません。(音楽を聴いたりニュースをチェックするくらいは出来るかもしれませんが)

電車やバスでしたらその時間に本を読んだり、こうしてブログを書くことができます。まとまった時間を編曲に充てることも出来ます。眠ければ寝たっていいです。つまり、通勤時間を有効に活用できるのです。

 

 

確かに車って便利ですし楽ですよね。1人の空間で、時刻表などの時間に縛られずに目的地まで直で行けます。ただ、通勤で積極的に使いたいとは思わないなぁと思ってます。

 

 

(とか言いながら毎朝駅まで乗せてもらってるのは本当に感謝してます)

「ほっさん」というブランド力を考える

ブログを初めて10日ほど。
これで7つ目の記事になるのですが、ブログを書くことの効果を実感しています。


日常に起きてることやニュース、他のブログの記事を自分の記事の材料にしようと思って過ごしているため、色々な物事に意識が向きつつあります。


アウトプットの時間が足りないということでブログを書き始めました。
自分の雑感を書き連ねてるだけなので、記事としての質は多分そこまで高くはないのですが、アクセス解析を見るとありがたいことに1記事あたり約100人のPVがあるようです。
このまま投稿すると月間1000PVは超えるかも?
ちなみに一番PV少なかったのはボドゲ記事

さらにアクセス解析を進めると、約95%がTwitter経由でのアクセスということで、ブログ投稿のツイートを見てこれだけの人が私のブログにアクセスしてくれているわけです。
多分残り5%は自分でカウンター回してる。


私のTwitterのフォロワーはのべ700人くらいですので、7人に1人は私の記事に興味を持ってくれている計算になるわけです。
ありがたいですね。嬉しいですね(๑ ́ᄇ`๑)


先日、質問箱で「自分の価値を高めたい」と回答をしたのですが、別に有名人になりたいという訳ではありません。具体的には「この人と一緒に〇〇したい!」と色々な人に思ってもらえるようになりたいなと考えてます。
例えばご飯だったり、遊びだったり、演奏だったり、仕事だったり…
自身の価値が高くなればより色々な機会に恵まれ、色々な経験ができるのかなぁと思ってます。


この考えもブログを書くようになってから明らかになっていきました。
ブログを書くことによって自分の意識や感覚が明確になり、それに対してフィードバックしていくことで成長していくのかなぁと思います。


(励みになりますので、気軽にスターやコメントをしてくれると嬉しいです)

プログラミング教育と指導者の話

2020年、小学校のプログラミング教育が必修化されます。

プログラミング教育に対する意見としてよく聞くのは「小学生にプログラミング言語やコーディングを学ばせるの?」という声。

もちろんそんな事はあるはずもなく、あくまで問題や課題に対して論理的に物事を考えるというを学ばせるというプログラミング的思考を学ばせる事が目的であると文部科学省は言っています。

そこでよく使われているのがScrarchというフリーソフト(プログラミング言語)です。本来プログラミング言語というと英語で書かれるものなのですが、このソフトは日本語で小学生でもわかるように作られています。

 

 

ただ、そもそもプログラミングはおろか、Excelもまともに使いこなせない教員にプログラミング教育が出来るものなのでしょうか。フリーソフトに触れて遊んで終わりになってしまいそうな気もします。

 

 

そんなこんなでてんやわんやなプログラミング教育ですが、翌年の2021年には中学校でも必修となります。

論理的思考というと数学科かな?と私も思ったのですが、違いました。

技術科です。

 

下記のサイトで知りました。

文部科学省 上野耕史 | 中学校でのプログラミング教育必修化について聞いてみた(インタビュー) | コエテコ

いやぁ、技術科って大事だなぁ

 

 

技術科というと、本棚を作ったりライトを作ったりと工作や作業のイメージが先行しがちですが、確かにパソコンでWordやExcelを使うこともあり、プログラミング教育をする上ではもっともな教科ではあります。しかし、技術科の授業は半期、週2時間しかありません。

今までやっていた工作や教科書の内容を扱うだけでも大変なのに、プログラミング、しかも、「ネットワークを利用した双方向性のあるコンテンツのプログラミング」を行うなんていう具体的な無茶振りをされています。

「情報通信ネットワークの構成」を理解することのできる大人がどれだけいるのやら。

 

先ほど、指導できる教員がいるのかという話をしましたが、実は中学校の方が深刻な問題を抱えているように感じます。そこには技術科の教員事情が内包する問題があります。

 

 

教員が足りないと叫ばれている昨今ですが、こと技術科においてはそもそも技術科の免許を取れる大学、学部自体が非常に少ないのです。基本的に各都道府県に一つあるかないかというレベル。そのため教員の数が足りず、正規の技術科の免許を持たない教員が臨時免許を発行されて授業を行なっているという学校があります。

そして臨時免許を発行される教員が専門とする科目に多いのが体育です。

工作や作業→力のある人→体育科

というイメージからか、体育科志望の先生が技術を教えている事が多いように思います。(私だけ?)

体育科の先生ってパソコンに強い人が多くないイメージです。(これも私だけ?)

 

 

正規の教員が満足に配備されていない中で、2年後には新しい指導内容であるプログラミング教育を始めて行くわけですが、果たしてどのような成果と課題が見つかるのでしょうか。

 

 

追いコンの話

実は3月9日(ミクの日)にVOCALOIDの話を書いていたのですが、投稿タイミングを逸したのでまた今度に(多分8月31日かな)


そんな3月9日(ミクの日)ですが、大学時代に所属していた吹奏楽団の追いコンに参加していました。
追いコンというと「追い出しコンパ」の略が定説ですが、吹奏楽界隈ではそうでない事が多々あります。吹奏楽界隈では「追い出しコンサート」を行うことが多いです。


コンサートといっても在学生が演奏会を開くわけではなく、卒業生が演奏した曲をみんなでワイワイ演奏して楽しむといった行事です。
練習もへったくれもなく、初見で吹く人も多いため演奏レベルは決して高くはないのですが、このときは当時の思い出に耽りながら皆純粋に音楽を楽しんでいます。4年間を共にした同期、楽団で吹く最後の機会ですからね。


追いコンがてら自分のサークル生活を思い起こすと、先輩や後輩とばかり仲良くして、仲の良い同期が少なかったなぁと反省しています。楽団の人と遊ぶというと先輩と遊び、楽団の人と飲むというと後輩とサシで飲み……
定期演奏会に関わる会議をサボって先輩の家に鍋を食べにいったのはもう時効ですよね。


しかし、卒業してから、みんなで演奏会を聴いた後に飲みに行ったときなど、自分を受け入れてくれる場がある事に対するふと安心感を感じることもあります。
社会人バンドで仲良くしてくれる同期も何人もいます。
いや、同期って大事ね。マジで。


さて、今回の追いコンに話を戻しますと、今年卒業する後輩たちは自分たちが楽団のメイン学年だった時に入学してきた子たちで、色々と思い出深い代でした。
自分が迎えた後輩が立派に成長し、巣立って行く姿を見ると感慨深いです。


卒業するときに自身の楽団での活動を振り返ると、精一杯打ち込んだ人もいればそう出ない人もいるかもしれません。
前者は卒業してからも勝手に集まるし、楽しくやるだろうからどうでもいいんだけど、後者は卒業してから集まることに引け目を感じる人もいるのかなあと思います。


でも、そんなことを感じる必要って全然なくて、実は行けばいろんな仲間が迎えてくれるんですよね。青春時代を共に過ごした仲間って一生物です。
是非ともこの場で出会えたことを宝とし、羽ばたいて行ってほしいです。

卒業、おめでとう。